folja
雑記

雑談イロハNo.3 (/5)

素敵な名言エンディングだよ(雑談ホ)

更新

AIに講釈を垂れさせる語り手が、文豪とシュルレアリスムを鍋で煮込み、謎の男F(猿ではない)に殴られ、人類はパブロフの犬の親戚だと悟る。釈明は締切の朝に窓から逃げた。紙代五十円、カロリーゼロ。全米は読んでいない。概要はClaude Opus 5.5が書きました。まだまだですね。

 ものを書いたときは、それをChatGPTなりNotebookLMなりに読ませて解釈させるようにしています。どれも勝手に講釈垂れてくれますから、たいへんに楽しんで読んでいるのですが、さてこの皮肉はそもそもそうした生成AIに向けるべきものでもないし、ハテなんのためになるのやら。

 水村美苗の「私小説」は、ひょっとしたら個人のことばの出るままに、日本語と英語が混在するひとつの言語として描かれたのではないか、と無粋します。自動筆記とは異なるのですが、それと近く、ことばの突くままに描かれたものではないか。ブルトンからはじまったシュルレアリスムとは違いますし、それらの影響を受けた詩人などが軒並み試みたように(大岡信と谷川俊太郎が「詩の誕生」でそれに触れていたこと、期待をみせていたことには驚きましたが)その内容さえ混在した、その別人格のような筆記者のあるがままを記録するというより、ある思想が介入するものの、その言語は擬似的な自動筆記のかたちを取るような……。

 SNSはそれが主なのかもしれません。推敲するよりもおもいつくままに記録するそれでしょうから……。あるいは実際の語りはそれに近いのかもしれない。もっともその逐次性とか再現性とかでパロールとエクリチュールのどちらが優位かという不毛な話をする気はありませんから、それを期待しているのなら別のものを読んでください。

 これはそのようにあれこれ論理立てて書くものでもないので本題に入りましょう、この「雑談」はどれもそのようにおもいつくまま記したものです。ときに遡って挿入したり、修正したりすることはありますが、大抵の展開はあれこれその場であるがままに委ね、どこに着くかもわからないでいます。もう満足すると最後には「オチ」をつけるための動作に入りますが、それまではそのまま書き殴っている。おおかた千文字程度でしょうか、原稿用紙では五枚ほどです。万寿屋の原稿用紙だと一枚十円ほどですから、用紙では五十円相当です。速度を守ると悪筆のために読み返せませんから、こうしたものを記すときは電子に限りますが……。タイプライターでも使ったものならすぐに絡まって手書きに戻りそうなものです。

 人間を観察していると、大抵は全然論理的な思考を想定しなくても解釈できそうにおもわれることがあります。何であるからこうである、という行為ではなく、ある現象に突き動かされて感情的に行動している単純なモデルを想定しても、他者のそれは解釈できるのではないか。たとえばFが攻撃してきたとすれば、それは入り組んだ要素に依るのではなく、ただ感情的にそれを求めているからにすぎない。(たびたびFの名を出しますが、これは不明 Fumeiの頭文字をとったもので実在する人間、あるいは猿などの動物をモデルにしているわけではありません。念のため。)

 あるいは(少なくともまだLLMは世界モデルとするには非効率なアルゴリズムだとはおもうのですが)ある行動や応答のための演算量は人間の感情的にふるまうそれより実のところ多いのではないか、という気さえしてきます。あるいは人間は条件反射を組み合わせた低レベルな機械なのではないか。

 それでも構わないだろう、とはおもうのですが、しかし人間が高次の存在でなくてはご立腹の方方もいますから、なにかしら釈明は必要でしょうか。あとはそれに充てようとおもいますから、もう満足な方はもうここでお別れとしましょう。満足できない方はこのままどうぞ。いくばくかの謝罪で気を慰めてください。誰であろうと、そうした文章なら退屈な生活の慰めにはなるでしょう。

 ばーか。

雑談ホ 終