冬の朝
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主のもとを抜け出した「ぼく」を、街の監視役の機械は追ってこなかった。それはまるでぼくが生き物ではないかのようだった。雪の積もる無音の道で旧式の街灯を見つけ──。二年半経ってもfoljaに収録する気まんまんの、「これまでの創作の中で一番好きな掌篇」と自負する自信作。そのせいで推敲したくても躊躇してしまう。
機械はぼくのそばを歩き、先ほどすれ違ったが、それはぼくを探していなかった。警戒の強まる夜を避け、ぼくはその群れを夜の訪れるよりも早く抜け出したのだが、夜の点呼でぼくがいないことを知った主は、しかしぼくを追う真似はしていないようだった。主がほんとうにぼくを探し求めているのなら、あの機械はぼくを観測できないほど遠くへ去ってしまわないはずなのだ。あの機械は、まるでぼくのほうが非生物であるかのようにぼくを扱った。
ぼくにとって、探し求められていないことは大した問題ではない。ぼくは堂堂と通りを歩くことができた。その点ではぼくという存在は、社会に存在するひとつのものではあった。けれども社会のシステムの一員ではなかった。機械はぼくを一員だと扱わなかった。大方、主がそのように指示したのだろう。
そのためにぼくはこうして、雪の深く積もった道を、ひたすらに歩いているのだった。音はない。生物らしき影もない。その痕跡もない。雪はとうに止んで、ぼくの足元に積もるはずもないから、いつ生物がこの道の雪を寄せたのかもわからない。ぼんやりと橙の街灯が佇んでいるが、これは旧式で、非生物だ。
ぼくはそうした旧式の街灯が好きだった。街はどこも新式で、道を照らすことを要求された機械が効率的に街を照らしていた。それらはただ街灯として存在しているのではなく、あらゆる物理的な要求であれば応えられた。飲兵衛の介抱。怪我の応急処置。迷子猫を探すことさえ担っていた。人間にできたことは街灯にもできた。できないことさえできた。
ぼくはその冷え切った、旧式の、道を照らすことしかできない街灯が、それでも好きだった。新式の街灯のことをあいつ、と呼んでいた。今ぼくが街に戻っても、あいつはぼくのことを黙殺するだろう。しかしぼくは今温かな光に照らされている。ぼくはその旧式の街灯を「ぼく」と呼ぶことにした。ぼくは・ぼくを・照らしている。不便だったが、ぼくはそれを気にも留めなかった。それより「きみ」と呼ばずに済んだことに安堵さえしていた。ぼくのことを「きみ」と呼ぶ奴らは、ぼくを手痛く扱っていたのだった。ぼくはそいつらと対等な存在として扱われてはいなかった。ぼくで遊ぶことに飽きれば、そこから動かず、ぼくを遠く離れ去るように仕向けた。そうして口を揃えて言ったものだった。「あいつは薄情だ! しかもあいつに嫌われた。俺たちは被害者だ。」
ぼくはぼくの下で朝の来るのを待っていたわけではないが、ぼくの生まれ育った家の窓からみえた街灯にぼくが重なり、そこに足止めされた。ぼくは朝の来るまで、生物をひとつも見なかった。ぼくはぼくとその誰も来ない道路の要素になり、変化のない道の一員となった。ぼくはぼくを照らし、それだけで、夜は薄まった。
朝になった。街灯は消えた。灯りの消えるだけで死んだように見える今の街灯は、果たしてぼくだったのだろうか、ぼくと呼んでいたあの街灯だったのだろうか、とぼくはぼく自身に問いかける。ぼくは冷え切り、朝日を浴びて溶け出した。
ぼくが立ち上がると、先ほどの、雪と、街灯と、ぼくからなる道は失われた。ぼくは溶けゆくそうしたひとつのシステムから離脱した。街灯の足元には、ぼくの座っていた痕がある。それはしばらくそのままで、はじめてぼくを受け入れていた証のある世界があった。ぼくは幸福だった。ぼくには味方がいた。一晩ぼくを照らし続けたそれは、まだぼくの背中を拒んではいなかった。道は遠く続いていた。遠く、どこまでも見えていた。
ぼくはもう、不幸なことは言わない。ここの冬の朝はどこまでも澄んで、ぼくもその一員になったためだ。